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日々のつぶやき

祖母の行動に感じ続けた大きな矛盾感〜祖母と私の物語

あまり気分の上がる内容にはならないと思うので(むしろ、かなり気分が下がると思うので)、読まずになるべくスキップしてください。(そんな内容を公開してごめんなさいm(_ _)m)
「死にたい」と繰り返し、でも一日中しっかり食べるという祖母への矛盾感について、自分の中の思考の整理と納得のために、つづろうと思うのです。

90歳後半になろうとしている祖母は、とても働き者だったし、今でも働きたいと思っているんだと思う。

ホームに入るまで、祖母は息子(私の叔父)がやっている自営の仕事を、一緒にやっていた。

いつから祖母が「死にたい、死にたい」と、私に訴えてくるようになったのか、はっきりとは覚えていないのだけれど。
たぶん、自営業の仕事の第一線から、表向きに退職したころからだと思う。。。。だから、もう10年か、もしかしたら20年近くなるのかもしれない。

祖母は電話でも、あるいは、私が祖母の家に帰るたびに、繰り返し訴えてた。「早く死にたい。もう死んでしまいたい」って。

でもそれと同時に、一日中、本当に一日中、色々なものを美味しそうによく食べていた。

あ、認知症で食べたかどうか分からなくて食べ続けているっていうわけでもなく、
過食症のような異常な量を食べるのではなくて、
祖母にとってとても適量も適量を、一日中、しょっちゅうついばんでいるのです。
まあ、健啖家なのですね、うちの祖母は。

お酒も飲めないし(本当は飲めるのかもしれないけど、もともと飲む習慣がないから飲めない)、
八ヶ岳の麓暮らしで、ちょっと歩いてそこまで〜の距離に、カフェはもちろん、スーパーやコンビニもない。
そんな暮らしをしていた祖母にとっては、食べることだけが、気分が紛れて、少しでも心が喜ぶ時間だったんだと思う。

そんな祖母とは対照的に、祖父は食が細くて、食べずにずっとお酒ばかり飲んでいた人だった。

祖父が肉体を脱いだのは、もう30年近く前のこと。
なかなかに長寿家系の我が家においては早死にだった祖父は、最期の頃には「もう消化器官がボロボロです」って、お医者さまに言われたと話した家族の会話のを、よく憶えている。

祖父が旅立った当時の私は、全くわかっていなかったけれど、大人になって、30歳前後になった頃かな?
墓標に刻まれた祖父の享年の年齢数を見た時に、ふいにはっきりと分かってしまったんだ。

ああ、おじいちゃんは、ずっとずっと死にたくてたまらなくて、たくさん頑張って自分をボロボロにして、それでようやく死ねたのか。

って。

食べることは、生きること。

食べる意思、食べる行為は、生きようとする、なんとか生きたいという願いそのもの。

いつからか、私は明確にこう考えるようになっていたのだけれど、
おそらく、祖父の享年の意味を理解した頃からだったのかもしれない。

だからこそ、「死にたい」と口で訴える祖母が、暇を持て余して美味しそうに適量を食べる姿を見るにつけ、
死にたい vs 生きたい という相反する思いと行動に、私の中の矛盾感はどんどん膨れるばかりで。

今もなお、祖母に会うたびに、この不思議な居座りどころを見つけられない感覚は膨らみ続けている。

食べることだけは手放したくないのに、ここ最近まで、胃の調子が悪い人生を生きてきたゆえの、たくさん食べられる祖母への嫉妬かもしれないけれど。。。


そういえば!
食べること以外でも不思議だったが、祖母も、祖父だって、
病院で出してもらうお薬は、きっちりしっかりバッチリ忘れずに飲むんだよねwww

痛みからは解放されたいのは、まあ、動物の本能なのかもしれないんだけど。
それにしても、きちんと用法要領を守って飲むんだよねー。

それってさ、結局はさ、
本当には“死にたくない”と思ってる(思ってた)ってことなんだよね。きっと。

祖母はあからさまとして、祖父だって、具体的な自殺行為を実行したこともなかったので、本当は死にたくなかったんだろうな。

かくいう私も、保育園の頃からつい数年前まで人生のほとんどにおいて、
“消えてしまいたい” と “でも痛いのは絶対に嫌!” がバトルし続け、それでも生きることを選択し続けている。

そして、起きる前から眠った後まで、美味しく食べることばかりをウキウキワクワク考えているわけでwww

。。。ああだめ。船を漕ぎ始めたので、取り合え時はここまで。おやすみなさい。

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