炙り出しシリーズ(と、勝手にシリーズスタートしてますがwww)。
本日、浮上してまいりましたのはコチラ――
私はたくさんのことを諦めてきたし、今もなお、たくさんのことを諦め続けてるんだなぁ。はぁ〜。
「諦める体験」は、結局は「できない、やれない」現実を「できない、やれない」という周波数で具現化して体験しているわけですが。
で、そのベースは「被害者意識」だった!って、気がついたのです。
本日、月曜日ですが、この週末もガッツリムキーッて責めたくてたまらない感覚が沸騰しwww
もう何もかも全部全部オマエのせいだーーーー!!!
って、私の一部は吠えてました。
この、他責するベースも、結局は「被害者意識」ですね。
外の何かによって、自分が嫌な思いをした=被害を受けた→ので、外を責める。
諦めるということも、たいていは「何か」原因があって「できない」のですよね。
つまり、「何か」によって、諦めざるを得ないという被害を受けているわけです。
何かしらの障害があってやれずに諦めることで、むしろやらなくて済む大メリットがある上に、「しょうがないよ」とか「残念だね」「かわいそう」「大変だね」と、他者の同情もひける♪
てなことで、あえて諦め続ける選択を無意識でしている場合もありますwあざといワタシ!
いづれにしろ、それで私は一体何を体験したかったのか⁈と自分に問うて、
被害者体験こそ、これまでの地球の物理次元にて「自分」と「自分以外」が明確に分離している意識だったからこそ体験できたことだったんだなって、なんとも有り難さに満ちたのでした。
ホント、とことん私たちは分離&二極の体験を極めてきたんだと、改めて改めて思ったのでした。
私たちのパワフルさに、これまでの地球での人間体験に、日々感動するばかりです。
この世界に生まれたのは大いなる罰だと、ハラの底から憎んで恨み続けて、お願いだから今すぐ私を消してよ!と(痛いのが怖すぎて自分では死ねなかったので)宇宙に叫び続けていた自分が、まさかこんなことを思う日がくるなんて、本当に思ってもみませんでした。
みんなみんな、ありがとう。たくさんたくさん、ありがとう。