2025/01/17 金曜日。
デビッド・リンチ監督が肉体から旅立ったという報を朝イチで見て。
スピ界隈では、2025年、いよいよ極まる終わりの終わりと言われだして、しばらく経つ。
説が出始めた頃は、世界中で10人に一人が生き延びられたらいい方、的な説もあって。
私は西洋占星術の星の動きをわりと参考にするのだけれど、2025年はレアなくらい天体大移動の連続。
にもかかわらず、2025年は特段大きな影響がなく終わりました!にはならないだろうと、どうしても構えてしまうし、2023年末の出雲神在祭の神々のご様子が、ものすごーく緊迫していたのもあって(動画、そのうち出します!)とてもとても、軽々しく「大丈夫、大丈夫!」とは笑い飛ばせない気持ちを、去年はずっと抱えていた。
でも2024年の後半くらいから、覚悟していたほど悲惨な事態には、どうやらならなさそうな流れななった感覚があったし、
事実、11月の出雲神在祭での神々のご様子からもそれが受け取れて、少しホッとしたのです。(早く動画出します!)
そして2024 - 2025の年末年始。
そんなに大勢の人が一気に肉体を脱ぐ流れよりは、ずっとマイルドな流れに世界線がシフトしたのを体験した。
とはいえ、それでも、きっとたくさんの人たちが肉体を脱ぐことになると思っていし、実際去年から、有名人も、友人知人親族を含めて、ものすごく頻繁に旅立ちの報を聞いている。
明日は、とはいわずとも、来月は、あるいは半年後は、家族かもしれないし、自分が肉体を脱ぐことになるかもしれない。
でもなぜなのか、どうしてもどこかで、死は、まだまだはるか遠いところにあるような、「ま、いつかは死ぬだろけどさー」とオチャラケ感で捉えていることに気がついた。
「は?大災害?そうやって騒いで、どうせ何も起きない!」
私の叔父は去年からこう断言しきり続けているし、今日も仕事先の人に言われたばかりwww
自然災害頻発の国土に住んでいて、なぜそんなに「どうせ何も起きない!」と半笑いで言いきれるのか、私はなかなか不思議な思い出いっぱいだったりするわけなのだけれど。
。。。まあ、地震が起きたらどうしよう!! アレが起こったら、コレが起きたらどうしよう!!! なんて、常に不安と恐怖で雁字搦めになってるよりは、心穏やかだし、いいと思うけど、、、、サ。
この、異常なほど恐れる人と、超絶楽観視する人と、振れる極が激しいのは、死ぬことが、あまりにも怖いことだからなのかしら?
そして、そうやって過剰に恐れ続けるか、過剰に遠ざけ続けた結果、ガチで自分の肉体の死をまざまざと実感した時に、絶望するんだと思うわけなのです。
だったら!
とにかく漠然と、ただ時間をやり過ごしたりとか、なんとな〜く時間が過ぎてた〜みたいな生き方ではなくて、
3ヶ月後にガチで死ぬとしたら、今すぐ何をやめたいか?
そんなふうに、リアルに死を本気で意識して、
なるべくなるべく!最終的には全ての瞬間を、
きちんと真剣に選択して生きよう!
きちんと意識的に選択して生きよう!
そう思ったので、決意=覚悟として私の中にしっかり根付かせるためにも、ここに書いて公開します。
。。。それにしても、もうデビット・リンチの新作が観られないと思うと、やっぱり寂しいもので。。。
家族は個人の公式フェイスブックで「私たち家族は、深い悲しみとともに、このたび、映画監督、テレビ監督、音楽家、芸術家であるデヴィッド・リンチの逝去をお知らせいたします」と報告。「彼がいなくなった今、世界には大きな穴があいています。しかし、彼がよく言っていたように、『穴ではなくドーナツに目を向けてください(Keep your eye on the donut and not on the hole.)』」と声明を発表した。
——報知新聞社 2025/1/17(金) 4:08配信より
そういえば、昨日読んだ みけまゆみさん (←「えっ、占星術って、そんな具体的な日時まで分かるんですか?!」という衝撃を教えてくださったお方)のメルマガにも、「自分とは、ドーナツの穴のようなもの」という表現が登場していて。
「ドーナツ」キーワードシンクロ ➡️ お調べなさいよ
という高次の存在からのお導きなので、調べてみました(今ww)。
ヒットした、こちらのお方のnote記事
「私」は線の集まりでもあり、ドーナツの穴でもあり -井筒俊彦『意識の形而上学』を読む
(↑ クリックすると、note記事サイトに飛びます。)
から推察するに、
井筒俊彦著『意識の形而上学』
(↑ クリックするとamazonに飛びます。)
に、そういう一説がある的な?
で、もはや、どんなキーワードでさらに検索したのかが思い出せないのだけれど、、、、
さらに検索をした結果、「シュレーティンガーの猫」というのが示されまして。
実は数日前に、何かのことを考えていて、
結局のところ、つまり、「誰もいない森で倒れる木は、音をたてたのか?たてないのか?」もしくは「箱の中の猫は死んでもいるし、同時に生きてもいる」的な、量子力学の、観察者次第のアレなんだろうなー
と思い至ったのを思い出しました。
えーーーーと、なんだったかなーーー。何のトピックで、どういう思考の文脈でそう思ったんだったっけ???。。。。。。思い出せない!
デビッド・リンチ監督、これまで数々の世界の様相を具現化してくださったことに、心からの感謝と御礼を。ご冥福を、そして新たな門出への応援と祝福を祈ります。